漢陽楼と留学生周恩来

漢陽楼の開業は1911年、華人の顧雲海初代店主 顧雲海は、父が中国から日本の航路の船の船員でした。
ある日顧雲海は、父に頼み込み船に乗せてもらい、日本に来ました。日本では日露銀行で掃除の
仕事をしていました。日露戦争をきっかけにその銀行は閉店してしまい、路頭に迷っていたところ
知り合いの留学生たちが「おまえは料理がうまいし、お店を出したらどうだ?」とアドバイス。
留学生達がみんなでお店を手作りで作ってくれたそうです。一時は銀座にお店をかまえるほど
何店舗もあったそうですが、そのあと、神保町近辺で何回も場所が変わり今では小川町3丁目
にあるここ漢陽楼が残りました。

店名は「漢」は漢民族のこと、「陽」は太陽の輝きを表していて、合わせると、太陽が漢民族を
照り輝かせているとの意味です。その名前は代々引き継がれ今では四代目になります。



 初代顧雲海、当時のお店の前での記念撮影

ある日、NHKの取材がお店にきました。それは....
天津にある周恩来記念館の年表に留学中の周恩来が「漢陽楼」
にお世話になっていたことを記す文面でした。その後、80年ぶりに発掘された
19歳の周恩来による東京滞在日記(1918、大正七年)が全文収録された「周恩来19才の東京日記」が
小学館文庫から発刊され留学当時、当店に足蹴なく通った事が記されています。



 日本で留学した時の 周恩来。クラスのみんなと記念写真 (後の右から1人目)



周恩来が好んで食べた獅子頭(肉団子スープ)



神保町に有った頃の漢陽楼




当店が記されている本です。
amazonまたは、当店でも販売しております。)


Chinese Restaurant創業1911年KANYO-RO